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2009年5月28日 (木)

栗本薫 死去(2)

地元紙の夕刊で訃報を知り、とりあえず通夜代わりとビールを1本空けながらブログを更新し、夜の営業を終えて先ほど自宅に帰ってきました。

またあらためて、栗本さんのことについてもう少しだけ語ろうと思います。

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自宅の留守電にかつての旧友からのメッセージが入ってました。もう15年以上会ってない奴ですが、私が高校時代にグイン・サーガを読むように薦めた相手でした。少し酔った口調で「栗本薫、死んじまったよ…。もうグインが読めない…。それだけ言いたかった」という内容でした。

私も、自分が受けた衝撃を少しでもなだめようと、誤魔化そうと、誰かと共有しようと、このブログを再度書いているのかもしれません。

私に子供が生まれたのが丁度二年前。生活パターンも変わり、なかなか読書の時間を取れないこともあり、購入はするものの積ん読状態になったのも2年前でした。確か115巻で止まってます。だからでしょうか。それ以降のあとがきを読んでいないので、その頃、栗本さんが再び癌に苛まれ始めていたという事実を知りませんでした。読むより先にどんどん発行されるなぁなんて嫁と笑いあっていたくらいです。

このブログで私が使用しているHNは「イシュト」という名前ですが、これはグイン・サーガに登場するイシュトヴァーンから取ったものです。いまや物語の中では残虐王への道を、破滅への道を転がるように進んでいる彼ですが、変わってしまう前のイシュトが、快活で狡猾で軽口ばかり叩くけれど憎めない傭兵のイシュトが大好きだったので、いつしか使うようになった名前です。まさかこんな形で説明する時が来るとは予想すらしてませんでしたよ。

この喪失感は何なのでしょう。

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栗本薫という作家本人が亡くなった事実もとてつもなく悲しい出来事です。でもそれ以上に「グイン・サーガ」という世界に通じるゲートを失い、二度とあのキャラクター達の動向を見ることが出来ない、国々の歴史が紡ぎあがっていくのを見ることが出来ない、グインというキャラクターに「触れる」ことが出来ないことへの哀しみがこの喪失感を引き起こしているような気がします。

グインは私にとって憧れの存在であり、かくありたいと思えるような偉丈夫であり、外見に似合わぬ繊細な心と優しさ、冷静な判断力と人を統率する力、そして誰をも魅了する素晴らしい「人物」でした。たとえ1000人の軍に囲まれても大剣1つさえあればグインなら切り抜けられる、と100%信じることの出来る力強い存在。玉のような汗に輝く張り詰めた筋肉の躍動、その豹頭の勇者の冒険を見ることはもう出来ません…。

『ヤーンは与えたまい、また奪いたまう。ヤーンは巡り合わせ、またひきさき給う』

これは作品の中に登場する神話に語られる運命神ヤーンを現した言葉です。人生とは、別離と邂逅のつきせぬくりかえしなのだ、と語られるその言葉が今は重く心にのしかかります。

「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」、しかし今はその夢へと続く入口が閉ざされてしまいました。終わりのない物語が真の物語であるのかもしれませんが、栗本薫の手による最終巻『豹頭王の花嫁』が読みたかったと心底思います。

豹頭王グインが、イシュトヴァーンが、リンダとレムスが、マリウスが、ナリスが、スカールが、オクタヴィアが、アムネリスが、ヴァレリウスが、グラチウスが、ヨナが、カメロンが、イェライシャ が、ケイロニアの獅子心皇帝が、セム達やラゴン達、ノスフェラスの住人達が、私の心にはずっと住み着いています。きっとこれからも同じです。20年以上ともに過ごしてきたんですから。

もう一度言わせてください。本当に有難う御座いました。

追記) 知り合いの子から先日、メールが届きました。先週、中島梓が死ぬ夢を見たばかりで、正夢になってしまってちょっと怖い、といった内容でした。単なる偶然と片付けても良いのですが、そういう事もあるんだなと私は思ってます。

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