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2011年4月29日 (金)

東日本大震災から50日

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※この画像はフランスのこちらのイラストコミュニティから転載したものです

http://cfsl.net/tsunami/?p=1770

まる二ヶ月更新が止まっていました。

最初の十日ほどはただの怠慢ですが、残りの数十日は今回東日本を襲ったあの激烈な災厄を目にし、どうにものんべんだらりんとしたブログなぞ書く気分になれなかった、と云う事もあります。

そのぶんTwitterでは意見交換したりRTしたり、情報の収集は頻繁に行っておりましたが、ある程度自分自身がこの震災や原発事故を「自分なりに」消化出来ない限り、このブログの続きは書けないなとも思っていました。

そしてそれはかなり根気のいる作業でもあり、文章や内容がどうこうではなく、自分の精神的な立ち位置の問題をはっきりさせる為の作業の様な気もします。誰が見てくれると云う訳でもないこのブログですが、それでも自分がきちんと前に進む為のけじめとして、ここにこの震災のことを記していこうと思います。

もはや忘れることなど死ぬまで出来なくなった2011年3月11日の日付。

それは週末、金曜日の午後2時46分。私は2時に店の暖簾を入れ後片付けの最中でした。そしてそれは始まりました。

この動画は東京・江東区のもの。あれだけ離れている東京ですら震度5強でこの揺れ方。最大震度7だった宮城や東北地方の揺れ方は想像を絶します。。。

そして今でもまだ現実とは思えないあの津波。

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直接現場でこの惨状を見た、あるいは巻き込まれた方の嘆きや恐怖、後悔や諦念、狂おしいほどの慟哭を想像してみても、多分、万分の一も現実の痛みに辿り着いていないのだと思います。

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それでも、いやそれでさえも、全てを押し流す津波の恐怖はTV画面、あるいはPCの画面を通じて直接被害を受けていない地域の住人も含めて大切な「何か」を奪い取っていきました。

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それはいつでも変わらずやってくると思い込んでいた「日常」であり、いつもと変わらぬ「平々凡々」とした、それでいて温かい日々の営み。

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「それ」は何の躊躇もなく簡単に、そして淡々と奪い取っていきました。自然現象とくくるには余りにも大きすぎる災害。確かに有史以来、このような大惨事は幾度も繰り返されてきたのでしょう。しかし、それが何の前触れもなくやってきた「今」だったとは。

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ましてそれら通常の震災と違い、この東日本大震災では大地震・大津波、そして忌むべき放射能災害まで巻き起こす結果に陥ってしまいました。どれか1つだけでも巨大災害なのにそれが3つ同時、しかも途轍もない範囲において発生すると云う多重大災害。。。

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誰がこんな事を想像したでしょう。いや、想像だけなら何人もの先人が警告し、警鐘を鳴らしてきたのですが、その鐘の音は全ての人のもとまで届いていませんでした。結果として。

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余りにもコトが大きく、余りにも被害が大きく、何を憂い、何を呪って、何に対して祈ったらいいのかすら判断もつかない、そんな未曾有の混沌に私達は投げ込まれました。

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人間の力は小さく、自然に対抗する術などない、と言い切る諦観はこの数万人と云う死者の数の前に、その数万をとりまく数十万、数百万、あるいは数千万の悲しみの前に何の力も持ちません。

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押し潰されそうな悲しみは情報として伝播し、被災地以外の場所でも我が身を切られるような思いに震える人々が産み出されました。それが亡くなった方への後ろめたさなのか、罪悪感なのか、あるいは純粋な同情・憐憫だったのかは分かりません。

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ただ、今回の「震災」はこの日本と云う国そのものを文字通り揺り動かし、そこに住む我々自身の「心」までも大きく変える結果になりました。アメリカにとっての9.11の如く。

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多大な被害は出たものの、これが地震と津波だけならば、復興の槌の音が聞こえ始める頃には悲しみつつも次の震災に備えた、新たな前向きな流れが見えるのですが、ここに原発災害による放射能汚染と云う最大最悪な災厄までが降りかかることに。。。

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途轍もない自然災害と、「想定外」の言い訳で現実的な準備すらしていなかった凶悪な人災。50日経った今もまだその人災が収まる気配はない。小康化してるように見えるのは私達が報道によってこの状況に慣れてしまったからだ。

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現場の最前線で必死に作業されている方達には心底頭が下がる思いですが、実際は今も危うい綱渡りの上にいる様なものだと思います。何かひとつ手違いがあれば、また同じような震度の余震や津波が今の状態のこの原発を再び襲ったら、スタッフの過労がピークに達したら。。。

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今度、格納容器を巻き込んだ水素爆発がもしもう一度でも発生したら、終わりなんじゃないかと云う暗鬱な予想も世の中にはあります。ヒトが到底近づけないレベルの放射線を発する場所と化した現場には誰も近寄れず、そのまま全ての炉と全ての使用済核燃料プールに対しての作業が打ち切られる最悪の事態。その悪夢が現実化しない事だけを日々祈ってます。

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そして、今回失われた沢山の生命。これから失われるかもしれない大切な生命。ひとくくりに1万人、2万人の死者といっても途方も無さすぎて想像力が追いついていきません。正に悪夢の世界。

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私に出来る事は報道やネットで知ったほんの一部の被害の有様を知ること。そしてそんな悲しみや苦痛・苦悩、どうにもならない慟哭がその数千倍、数万倍の件数、そこにあったのだと理解すること。

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雑誌に北野武が書いていたコメントも読みました。1万人の死者が出た災害が1つあったんじゃない、1人が無残な死に方をした事故が1万件同時に発生したんだと。

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私はもうすぐ4歳になる子供をもつ親です。だからかもしれませんが、子供の被害、最後まで子供を守ろうとした親の思いは痛いほど胸に突き刺さります。私が憐憫の感情をもったところでどうにもならないのは分かっているのですが、せめて息絶えるまで子供を守ろうと死力を尽くした親御さん達の気持ちを少しでも自分の胸に残しておきたいと感じています。その気持ちは必ず「伝えて」いかなければならない類のものだとも思っています。

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泥の中から掘り出された若い母親の遺体。両腕にしっかりと小さな我が子を抱きかかえたまま亡くなっていたそうです。まだ首も据わらぬ月齢の小さな赤ちゃんを己の命が尽きる最後の最後まで抱きかかえて守ろうとしたのか、泥だらけのなかその胸に押し付けられた赤ちゃんの顔だけは嘘の様に綺麗だったと書いてありました。

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また、津波後の火災で亡くなったらしき母親も、その身体は焼け焦げていたけれど、何かを抱きかかえている真っ黒な腕をほどくとそこには殆ど損傷の無い赤ちゃんの遺体があったと。胸が苦しくなります。子供を守ると云う本能的な行動だけで片付けちゃいけない事柄にも思えます。

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そして新聞で読んだ20km圏内捜索の記事。水田にすっぽりと上半身が埋め込まれたままの小さな裸足の男の子の遺体。ズボンの上からでもその下にオムツをつけているのが分かったそうです。取るものもとりあえず母親に抱かれて逃げる途中、波に攫われたのでしょうか。その姿を、その苦しみを想像しただけで涙が出てきます。

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そんな出来事が数万件、同時に発生したのだと考えるだけで、もう感情の処理能力が追いつかなくなってしまいます。実感の範疇を超えてしまうのです。だから私はこれらの親子や子供の死の話から沸き起こる感情を自分の立ち位置として胸に刻んでいます。

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子供が笑える世界、心底からの子供の笑顔が私は復興の指針だと思っています。「未来」そのものを体現している「子供」。そんな子供達にきちんとした世界を残してあげるのも、大人の務めです。

この震災を機に、日本は大きく変わっていくようにも見えます。そしてそれは私ら大人の責任としてより良い方向に舵を取っていかなければなりません。負けだと思っちゃ駄目です。勝てなくても笑顔で負けてやらねえ!そんな気概でこれからの動乱を生き抜いていこうと思います。

最後になりますが、今回の震災で亡くなられた方、怪我をされた方、未だ行方不明の方、家屋を流されたり破壊されたりした方、そしてそれ以外の様々な被害を受けた方に心からお見舞い申し上げます。

頑張れとは言いません。共に立ち向かいましょう。私は私に出来ることをやります。ただそれだけです。そしてまた皆が笑い合える場所を作りましょう。

追伸)

今日読んだ雑誌で紹介されていた、ドラマ「仁-JIN-」の中の台詞が妙に心に染みたのでここで紹介しておきます。劇中で坂本龍馬が主人公に語る言葉です。

「死んでいった者らに報いる方法はひとつしかないち。もう一遍生まれてきたい、そう思える国にすることじゃき。そう思わんかい。」

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コメント

すいません。お待たせさせてしまったようです。
こんなブログにそんな言葉を戴けてとても有難いです。感謝します。
ご推察の通り、書けなくなってました。と云うかとても今までと同じようなスタンスで続けることが出来なくなってました。

何処かできっちりケジメをつけないと、このブログも前へ進めなくなっていた様な感じです。まだ原発事故も収束の灯が見えない状況で、これから日本は、と云うか私達は何処へどのように向かっていくのだろうと。

でも未来のある子供達の為にも、大人はしっかりしなきゃね。それが厳しい道だとしてもたまには横を向いてニッコリ笑えるような。

うちの二世は先月から保育園に通い始めました。今まで私とばかり遊んでいたのですが、最近は保育園で仲良くなった友達の名前をよく教えてくれてます。家では相変わらずライダーごっこだったり、チャンバラ・銃撃戦三昧なんですが(笑)

ただ昔より色々な事柄に興味を持ち出していますよ。ママゴトだったり、お絵描きだったり、最近は字の練習にもご執心です。買っておいて放置気味だったブロックや積み木を急に始めたり、廊下に並べた牛乳パックでボーリングしたり、隠れんぼしたり、キャッチボールしたり。

走るのも大好きです。雪遊びも大好きなので冬場は家の中に入れるのに一苦労でした。最近はマウス操作も見よう見まねで覚えたらしく、Youtubeの玩具レビュー動画を次から次へと自分でクリックして見続けてました。怖るべしデジタルネイティブ。

子供の為にも元気なパパでありたいと思う今日この頃。暗鬱な気分を払拭するような楽しいブログを少しずつ再開していきたいと思います。これからもよろしくお願いします。

しかし長いですね俺の文章(笑)

投稿: イシュト | 2011年5月 2日 (月) 00:03

毎日待っていました。
頑張るという言葉に異常に反応する自分。我慢、辛抱という言葉も人には言わないようにしています。
更新が無くても、コメントに返信していたから、病気ではないのだ。
私だって、胸がつぶれるような思いなのだから、イシュトだって、書けないんだろうなあ。

イシュト2世、4歳かあ。何して遊んでいるの。

また、待ってますから。

投稿: もっちゃん | 2011年5月 1日 (日) 07:06

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