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2017年9月17日 (日)

ジョジョの奇妙なパクリ問題 PART2 【黄金の道・後編】

ダラダラ長い前編に引き続き、今度は著作権そのものについて自分で更に理解を深めるために後編突入ですが、更新が半年も空いてるのは単にやる気と体力の問題です(キッパリ。

あとは時間か…。それではまず前回それほど深く触れなかったトレース問題から。

またダラダラとかなり続きますので、キリの良い処で適当にあがって下さいね。

元々、「トレースでなくても人物の顔や背景、服を変えても構図が同じだったらトレースと同じ著作権侵害である!」との意見に強い疑問を感じたのが、最初のこのジョジョ関連の記事を書いた切っ掛けである、と何度も書いてきました。

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ではトレースとは?
 
トレースとは「すでにある物をなぞる事」を指し、製図において行われる複写行為から派生した言葉です。元になる他の図面や写真、作品などを下地に、それらをなぞり内容を変えずに別の媒体(紙)に写して清書をする事、またはそうやって作られた絵そのもの。
参照 ※トレス
 
特に元絵の上に別の紙を置いて透かし、それをなぞって写し取ることをトレースと呼称するのが一般的ですが、見て描いたもの(模写)も便宜上トレース扱いされる場合があり、それがまた混乱の一因ともなっています。最近は目トレ(笑)なんて言葉を作り出す人もいましたが。なんだよそれ(笑)
 
「ポージング流用は著作権侵害である」についての否定的観点は以前の記事でも記しましたが、この辺についての類似事例や法曹関係者含めたコメントをあれこれ当たってみると、是とする人もいれば、非とする人も双方いると云う「行列のできる法律相談所」みたいな結果にしか行き着きませんでしたが、弁護士などの方の基本意見としては「直ちに著作権侵害にはなり得ない」が主流。
 
なぜならば、雑誌の写真のモデルのポーズを真似てキャラクターを描いても、ポーズ自体はアイデアであり「著作物」ではないので(アイデアには著作権は関係ない・前記事参照)、著作権侵害の問題にはならんとする考えが基本なのです。※写真そのものを絵で「複製(デッドコピー)」するのはまた別のお話。ここは後述。
 
他者のアイデアを真似る行為があったとしても、「具体的な表現」が異なるのであれば、それは独立した別個の著作物であるとする判例は既に出ています。以前の記事で紹介した廃墟写真集の件もそれ。「被写体が同じで構図が似ていても、写真の表現上の本質的特徴といえる撮影時期や角度、色合いが異なっているから著作権違反ではない」が控訴審判決で確定されています。
 
作風や手法は「表現したもの」ではないため、それだけでは著作権の侵害としては成立しないのです今の処。
 
著作権が保護の対象とするのはその「表現の手法」という抽象的なアイデア自体ではなく、具体的な表現形式であることに留意しなければなりません。

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例えば、左はNHKテキストきょうの料理で使われたもの、右はそれを参考に別なカメラマンが他社のカタログ掲載用に後から撮影したもの。裁判所は「被写体の選択や配置にも写真の著作権は及ぶ」(つまり、被写体が類似していれば著作権侵害の可能性がある)と最終的に判断しました。

つまり

「原告の特徴的な表現を被告がどれだけ借用したか」

「共通点と思える特徴は既に先行作品にも見られる定石ではないのか」

「アイディアが共通しているのに過ぎないのか」

「相違点はどれだけあるか」

といった点が裁判で(親告によって)争われる訳です。

これが何を意味するかといえば、ポージング模倣やトレスはそれ単独で判断できるものではなく、具体的な模倣の量・質、表現形式(手法ではない)などを踏まえたうえで、司法判断されなければ結論が出ないと云う事。これもまた前編で触れたと思います。

道義的な問題はまた別な話で、「やいのやいの」言われる方は、この道義を押し出して叩こうとしてるのだとは思いますが、道義と法をごっちゃにするから訳が分からなくなる。

「だってパクってんだろが!」は只の感想だし、「法なんて知ったこっちゃねえ!俺が裁く!」なら、それは只の無法者による私刑(リンチ)。感想を述べるのは構わないとは思いますけどね。

「模倣する自由」と「模倣を許す弊害」のバランス。

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例えば寺沢武一「コブラ」の第1話においてコブラが記憶を取り戻す契機となった仮想記憶挿入(行ってもない火星旅行の記憶などを植え付ける娯楽)のコンセプトは、フィリップ・K・ディックの「追憶売ります」(映画化名:トータル・リコール)だってのは周知ですが、これをパクリだと騒ぐ人はあまり見かけない。単にアイデアの流用に過ぎないから。
 
それとトレースとは単に構図(ポーズ)が同じイラストを指す言葉ではありません。(毎日の様に大量に生産され続けるイラストにおいて、同じ構図がゼロなどと云う事はまずあり得ない)
 
トレスそのものが違法なのではなく、権利が存在する資料を無許可で「複製」し、権利者から訴えられ裁判で決着がついた段階で違法。
 
ちなみに法的に権利が無いとされる非著作物は
 
・頭の中にあるイメージやアイデア
・自然や機械によって作られたものや偶然の造形
・学問的成果としての定理、公理、定義
・昔からの言葉、決まり文句や形象、伝統的、常套的な表現や様式は社会のもの
・事実や出来事、史実の飾らない文章表現や図形
・人間の生活に必要なもの。生存に物理的に必要なもの。例えば料理の内容や盛り付け
・裁判で無権利表現と判断されたもの
 
などです。
 
建材の木目化粧紙は自然の作ったものだから特定の人間のものではないし、相撲番付も昔からのものなので社会全体のもの。書風、画風(描法)、流儀などもそうです。

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いっときスラムダンクのトレース疑惑がネット界隈を賑わせましたが、これもジョジョと同じポージング借用の案件。

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写真をそのまま絵やイラストとして複製し発表した場合は紛れもなく著作権法違反となりますが、上に記したようにポージングそのものを抜き出し流用しても、具体的な表現の相違、ポーズ自体はアイデアであり著作権法に厳密には該当しない、などの理由から、余程の事(背景含め余りにも類似性が高い、権利者がご立腹で訴訟、など)がない限りはまず問題化しないと私は考えます。個人的な意見ですが。

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この当時、雑誌等の写真を「参考」にして漫画に取り入れる事は、まだごくごく当たり前の手法として作家・編集者双方に認識されていたと考えられます。そのものズバリを複写(デッドコピー)して描くのでさえなければ許容範囲。まだネットも普及していない時代、モチーフに気付くのはごく一部の者であったろうし、その情報が大量にシェアされる事もまたありませんでした。

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著作権侵害とは、「権利ある他人の労力を大きく吸い上げているか否か」が判断の肝だとも言われています。要は質・量としてそれらがどれだけ作品の骨格を占めているかどうか。

既存写真からのポージング流用があったのはジョジョ、スラムダンク共に事実でしょう。まだ今ほど著作権にうるさくない時代に描かれたものですから。そこを突いて「パクリだパクリだ」と騒ぐ心性も、まあ理解は出来るのですが、かといって、その両作品の根幹であるストーリーとキャラクターが、誰かの既存作を大幅に「パクった」ものであると云う主張を見た事は幸いにしてありません。(電波系遺憾人のコメントを探せばあるのかもしれませんが)

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ポージング流用はあくまで作品を構成させる1要素としてしか機能してない訳です。また具体的な表現も異なります。では道義的にどうなんだ!と言われても、この時代ではそれは道義的にも何の問題も無かった、としか言えません。事後法の考え方。
 
あと、必要以上にパクリ疑惑を誇示する方々は、糾弾する事自体が目標になってしまい、問題の解決からはほど遠い存在になっているようにも見えます。
 
本当に問題を解決したい人は「反対派の説得(取引)」も選択肢に加えて考慮するのだけれど、ただ単に上下関係の確立やマウンティング「のみ」が目的の人だと、そう云う考え方が希薄というか、(自己認識上、自分より格上の人間を)叩く事で自分が気持ちよくなりたいんじゃあ!だけが前面に出てしまい、問題の解決なんぞ俺が知った事かになりがちです。
 
これらを忌避するためか、近年は制作側に「君子危うきに近寄らず」が徹底され始めた感もあり、必要以上に問題となりそうな行為を自重する意識が共有され始めたのかもしれません。それはメディアの洗練を招く意味では良い事でもあるが、システムが整理されるまで作品・業界そのもののスケールダウンを招く要因となる可能性もちらほら。

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リキテンシュタインによる新聞連載漫画の1コマを拡大したポップアート作品があります。何処かしらで見た事があると思いますが、あれは既存漫画の1コマを百号の大きさに拡大、印刷のドットすら手描きで描き直し、その方法論を以って多くの者に芸術と認知・支持された作品です。

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アンディ・ウォーホルのモンローやトマト缶なども考え方のスタイルとしては同様。これらのアートがパクリと呼ばれ糾弾されないのは何故か?と云う事もまた私らは考えていかなければならん気がするのです。技法の問題、媒体の問題。

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「既にあるものを別の視点から見つめ直し、要素を抽出し煮詰めなおす作業」はアートとして既に認知・成立しているのです。

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この「既にあるものを別の視点から見つめ直し、要素を抽出し煮詰めなおす作業」と、「そっくりそのまま拝借する行為」は似て非なるもの処か、まったく別の次元の話ではあります。
 
まあ、ポージング流用が「要素を抽出し煮詰めなおす作業」かと聞かれれば、そーゆー場合もあるし、単に作業時間短縮の為に既存の写真等から情報を抜き出した、場合もあるとは思いますが。これは各個に判断しなければならないものであって、大枠で安易にパクリとだ括る問題ではないのです。
 
荒木飛呂彦はパクリだ!と鼻息荒くしてルーブル美術館に元ネタを示す資料を得意げに送り付けた頓珍漢な遺憾人もいたらしいですが、すいませんその後なにか状況が変わったでしょうか?
 
平原綾香の「ジュピター」と云う曲があります。これはホルストの「組曲惑星:ジュピター」をアレンジ・カバーしたものですが、ホルストの曲にはヨーロッパの古い民謡を題材に作られたものもあり、これもまたそうではないかと云う説もあります。
 
人の耳に心地よいメロディが時代や場所を変えながら何度も再生され、その度新たな感動を生むと云うこうした現象こそが、前ブログでも述べた「黄金の道」に確実に連なるものだとは思っています。感動を生むか否か。新たな素晴らしい作品として成立しているか否か。有無を言わせぬ作品としての説得力。

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モノマネという演芸(コピー)は、オリジナルの持っている「見え方」「見られ方」というものを一緒にコピーしているのであり、オリジナルに対して誰もが感じている何かを判り易く再現してくれているからこそ、モノマネショーは笑える(新たな感動を生む)訳です。

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こうした「感動を新たにする」ための再生産の過程を「パクリ」と呼ぶのであれば、それは、決して特別なものではなく、創作活動の中で当たり前に見られる作業だと言えます。
 
ちなみに、天空の城ラピュタに登場するロボット兵のイメージ母体は、フライシャー兄弟制作のアニメ版スーパーマン「メカニカルモンスターズ」に登場したロボット。元ネタはTVルパン最終回のラムダだと思われてますが、更にそのラムダの原型。

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このスーパーマンに登場したロボットをベースとしてルパン三世最終回「さらば愛しきルパンよ」での装甲ロボット兵ラムダ、自律思考型のシグマが登場。これらの「原型」としての意味なのか、ラピュタのロボット兵には準備稿の印刷前段階では「アルファ711」と云う名前が付いていました、とかつてジブリの制作進行であった著者の「もう一つのバルス」(木原造勝/講談社)には記されてます。

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ちなみに、ロボット兵の凄さを説明された銭形警部が「まるでスーパーマンですなあ!」と劇中で感心しているのは「つまりそれが元ネタなんですよ」との制作サイドからの(と云うか宮崎監督からの)隠れたネタバラシでもあります。

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あと宇宙戦艦ヤマト。ガミラスの攻撃で放射能に汚染された地球を救うべく、イスカンダルへ放射能除去装置コスモクリーナーを取りにいくお話ですが、この設定の下敷きは「西遊記」。乱れた世の中を救う為に天竺に有り難いお経を取りにいくと云うフォーマットがここにあります。それを表す伏線(と云うか意味づけ)として、「イスカンダル」の名称が使われている訳です。
※仏教発祥地ガンダーラ地方はかつての侵略者アレキサンダー大王の名が伝説化されイスカンダルと呼ばれてた説
 
基本、「権利ある他人の労力を大きく吸い上げているか否か」「質・量としてそれらがどれだけ作品の骨格を占めているかどうか」によっての各個判断。原著作権者の権利を侵害していないか、不利益を与えていないか、を問題になった段階で親告し司法判断するのが現状では一番確かなやり方だと思います。
 
ちなみに司法判断をする場合、以下の三点が基本ポイントになります。
 
1)既存のイラストや画像が著作物かどうか(著作物性)
 
2)新しく作成されたイラストや画像が、既存のイラストや画像に依拠して作成されたものかどうか(依拠性)
 
3)新しく作成されたイラストや画像が、既存のイラストや画像に類似しているかどうか(類似性)
 
これを大雑把に個別説明すると以下の様になります。
 
1)既存のイラストや画像が著作物かどうか(著作物性)
 
まず既存のイラストや画像に「創作性」が無い場合は、そもそも著作物に当たらず、同一または類似のイラストや画像を作成しても著作権侵害になりません。創作性の無いもの例はこの記事上部でも示してあります。
 
2)新しく作成されたイラストや画像が、既存のイラストや画像に依拠して作成されたものかどうか(依拠性)
 
依拠性については、新しく作成したイラストや画像が「既存のイラストや画像を参考にして作ったものかどうか?」が問題となります。
既存のイラストや画像を参考にせず、結果として偶然類似のものが出来上がったとしても、法律上、著作権侵害にはなりません。
 
3)新しく作成されたイラストや画像が、既存のイラストや画像に類似しているかどうか(類似性)
 
類似性については、新しく作成されたイラストや画像が、既存のイラストや画像を参考に作成されたものであっても、既存のものと類似してなければ著作権侵害にはあたりません。
そして類似しているかどうかは、「既存の著作物の表現形式上の本質的特徴部分を、新しい著作物からも直接感得できる程度に類似しているか?」が判断基準とされています。
 
問題となるのは大抵3番の類似性の部分で、ここが一番ウェイトを占めます。
漫画ではないですが、参考として裁判所で著作権が否定された事例、肯定された事例を幾つか列挙してみます。
 
否定された事例
 
マンション読本事件
(大阪地方裁判所平成21年3月26日判決)

マンション読本

左が「既存のイラスト」、右が「新しく作成されたイラスト」。

既存のイラストの著作権者が、新しく作成されたイラストについて、「既存のイラストの著作権を侵害している」として、訴訟を提起しましたが、「裁判所は「著作権侵害には当たらない」と判断しました。

理由:2つのイラストの共通する部分は痩身の女性をイラストで単純化して表現する場合にごく一般的に見られるありふれたものである。2つのイラストでは人物の表情が異なっている。

柄シール事件-招き猫のイラスト

(東京地方裁判所平成26年10月30日判決)

招き猫

左が「既存のイラスト」、右が「新しく作成されたイラスト」。

理由:2つのイラストには、片方の前足を挙げている点、左肘、右肩及び左後足の3か所に斑点がある点などの共通点があるが、これらは招き猫としてありふれた表現である。イラストは最も大きな印象を与える頭部の描き方及び顔面の表情において大きく異なるため、著作権侵害にはあたらない。

肯定された事例
 
出る順事件
(東京地方裁判所平成 平成16年6月25日判決)

イラスト使用の差し止め+1,025万円の賠償命令

出る順画像

左が「既存のイラスト」、「右が新しく作成されたイラスト」。

理由:「人形を肌色一色で表現して人形の体型をA型にして手足を大きくし、左手の手のひらを肩の高さまで持ち上げて表現する」という表現方法などが2つのイラストにおいて共通している。上記の共通する表現方法は既存のイラストの特徴的な部分である。

絵柄シール事件 ひょうたんのイラスト
(東京地方裁判所平成26年10月30日判決)

絵柄使用の差し止め+約2万円の賠償命令

ひょうたん画像

左が「既存のイラスト」、右が「新しく作成されたイラスト」。

理由:「太い線で黒地に白色の葉脈の葉と、白地に黒色の葉脈の葉を織り交ぜて描いた点」などが、2つのイラストにおいて共通している。上記の共通部分は既存のイラストの特徴的な部分である。

ここから読み取れる事は、類似性を否定し、著作権の侵害はないと判断したケースは、「共通部分はあるけれども、それは既存のイラストの本質的特徴部分といえず、ありふれた表現の部分に過ぎない」とされている事が特徴だと云う事です。

人物や動物については、構造や表現の「描き方」が限られるため、類似点が出てくるのが当然であるという側面があります。そのため、表情などが異なっていると「共通部分はありふれた表現にすぎない一方で、見る人に最も大きな印象を与える表情が違っている」として著作権侵害ではないと司法判断され易くなる傾向があるとも言える訳です。

この「本質的特徴部分なのか?」、「ありふれた部分なのか?」の判断はプロである司法においても即時即決できるものばかりではないのだと云う事は我々も理解しておく必要はあります。

延々と頭が痛くなりそうな話が続いてますが、今回記事を書く切っ掛けともなったジョジョのポージング流用などの件も、「ポーズそのものがその著作物の本質的特徴なのか?」「ポーズ以外の部分も原著作物と類似しているか?」が争点になりそうな気はします。もし司法の場にこの案件が移ったとしたらの話。なんとなく結果は見える気もするんですがね。

では根本である著作権と云うものをざっと整理してみます。

そもそも著作権とは何か?
 
何の届けや手続きなしで創作と同時に著作権が発生する「無方式主義」(ベルヌ条約)を現在の日本は採用しています。ベルヌ条約には1899年(明治32)加盟。
 
コピーライトなどの表示を必要とする「方式主義」の国と、ベルヌ条約加盟国との架橋的な調整を図る目的で定められたのが「万国著作権条約(1952年)」。これには日本は1956年に加盟。
 
1989年にそれまで方式主義だった米国がベルヌ条約に加盟した事で、現在の著作権における世界の趨勢は無方式主義がメインとなってます。
 
ちなみにⒸは著作権のマークとして世の中に認知・浸透してますけど、これ実は只の「慣習」であって現在は殆ど意味がないものなんです。無方式主義では何の登録もせず「創作の段階で著作権が自然に発生する」ものですが、「届け出を出さない限り著作権を獲得できない」と云う考え方(方式主義)の国もあった訳。なかでも一番大きかったのが米国。
 
当時アメリカ側と米国の著作物をどう保護するかの議論があり、Ⓒを付ければ大丈夫な約束を方式主義採用の米国と交わしていたので「その当時は」有効だったんですこのシステム。
 
でもその後、1989年米国も日本と同じベルヌ条約に加盟してしまった為、今はもうⒸの表示意味そのものが無いんですよ。本当、只の慣習と云うか、書いておいても特に損は無いし、著作権表示っぽいでしょコレ?と云うオマジナイ程度の意味しか今は持ってないのです。だからといってこれが表示されて無いから著作権フリーって訳でもないのですが。
 
それと著作権の保護期間ですが、権利の独占と非独占のバランスを考慮して保護期間が認定されています。創作の時に始まり、生存間および「死後50年を経過するまでの間」となります。ただ映画(映像含む)の著作権については、近年の欧米などで原則保護期間を70年にする趨勢があり、やがて日本もそうなるのではないかとの予測。
 
それと、著作権には大きく分けて「著作者人格権」と「著作権(財産権)」の2つがあります。

著作者人格権

●公表権
作者が著作物を公表するかどうか、公表する場合どのような方法で公表するかをきめる権利。

●氏名表示権
著作者が自分の著作物にその氏名を表示するかどうか、表示する場合本名にするか、ペンネームにするかをきめる権利。

●同一性保持権
著作者が自分の著作物のタイトルや内容を、ほかの誰かに勝手に変えられない権利。

著作権(財産権)

●複製権
あらゆる方法で「物に複製する」権利を指し、著作権の中で最も基本的な権利。この言葉から、著作権制度は、もともとコピー(Copy)に関する権利(Right)から始まったことが判ります。

上演権・演奏権
多くの人に著作物を直接聴かせたり、見せたりする権利。演奏を収録したCD等を多くの人に聞かせることも含みます。

●上映権
フィルムやDVDなどに収録されている映画、写真、絵画などの著作物を、多くの人に見せるためにスクリーンやディスプレイ画面で上映する権利。

●公衆送信権
送信可能化権とも呼ばれます。テレビ・ラジオ・有線放送、インターネットによる情報の発信などに関する権利。

●公の伝達権
著作物をテレビなどによって、多くの人に見せたり聞かせたりする権利。

●口述権
言語の著作物を朗読などの方法で多くの人に伝える権利。

●展示権
美術の著作物および写真の著作物(未発行のもの)を多くの人に見せるために展示する権利。

●頒布権
上映して多くの人に見せることを目的として作られた「映画」の著作物を販売したり貸したりする権利。

●譲渡権
映画以外の著作物またはその複製物を多くの人に販売などの方法で提供する権利。あと譲渡権は一度譲渡された後は「消尽(権利を使い果たすということ)」し、その権利は消滅します。

●貸与権
CD・DVDなど、著作物の複製物を多くの人に貸し出しする権利。

●翻訳権・翻案権
著作物を翻訳、編曲、変形、脚色、映画化などの方法で二次的著作物を作る権利。

●二次的著作物の利用権
自分の著作物(原作)から創られた二次的著作物を利用することについて、原作者が持つ権利。

財産としての著作権は土地になぞらえると分かりやすいですかね。売ってもよし、貸してもよし。売った場合は土地は戻ってこないし発言権も無くなる。貸した土地は賃貸期間が過ぎれば戻ってくる。唯一の違いは権利を他人に売ってしまった後でも、著作者の名前は動かない事。権利者ではないが、著作者である事には変わりがない部分。

こうして細々と分けられておりますが、各項目の詳細は興味あれば各自ご自分でお調べ頂ければ幸いです。

さて、著作権法は著作者第一主義ではあるものの、出来上がった著作物は社会全体の為に利用されなければ文化の発展に寄与する事にならない、著作者個人と社会全体、個と全体の調和、利益に貢献し、文化の発展に寄与する、それが著作権法の本質・姿勢であります。

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よって、文化を衰退させるような事はまず著作権法の基本精神から大きく外れているのだと云う認識を我々は共通概念としてまず持っていないといかん訳です。(原著作権者の権利を侵害せず、不利益を与えない配慮をした前提でね)

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他者のアイデアを借用する場合は、最低限「自分のフィルター」を通してから具象化する必要もまたあります。「ハーレムもの」なんて呼ばれる主人公の周囲に美女がたくさん登場して、なんて設定の元祖(たぶん)は「うる星やつら」かもしれません。

主人公の傍に「異界」からの同居人が居てお話が進んでいく、なんて切り取り方をすれば「うる星やつら」の元ネタは「ドラえもん」であったり「オバケのQ太郎」だったりもします。

「元ネタがバレて困るのがパクリ」の言い回しは散々このブログでも紹介しましたが、これを更に突き詰めるのならば

「バレなきゃ始まらないのがパロディ、判る人にだけ判れば良いのがオマージュ、元ネタの製作者に判って欲しいのがリスペクト、暗黙の了解がインスパイア」、とこうなりますよね。

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パトレイバーの後藤隊長のキャラ設定に、映画「殺人狂時代」(監督:岡本喜八)の仲代達矢がモチーフとして大きく投影されているなんてのもそうですね。水虫もちとか。

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パロディについては、フランスの著作権法にはパロディの権利が許されているパロディ法があります。パロディの構成要素があり、それに基づいていればそれをパロディと云う「独立した表現」として認めます、といった事らしいですが。

※それはそれでフランス国内でもパロディにおける著作権裁判が無い訳じゃないんですが。ターザンのエロパロ、ピーナッツ(スヌーピー)のパロ他。

パロディの条件としては

1、笑わせるカリカチュア(戯画)効果

2、原著作物と独創性のあるパロディとの間に混同を生じさせない事

3、原著作物を害し、またはその顧客を外すような意図が無い事

などが挙げられてます。

日本においても黄表紙本(江戸中期に流行した絵入り小説)や和歌の世界にも本歌取りなんてのがあるように、パロディとしての文化伝統は元々根付いている国だとはいえます。

他者の創作をそのまま取り込んで使う行為と、エッセンスを抽出しそれを基に新たなものを作りだす行為の違いとは、要約と要旨の様なものかもしれない。

要約と要旨(沙録)の境目は微妙であって、改変的表現である抄録は同一性保持権を侵害しないか?については説が分かれるのです。

抄録と云う言葉は日本でも古くからあって、寛永6年には歌舞伎の一番人気の場面を要領よく抜き出し本にしてまとめた「続歌舞伎年代記」などと云うものがあり、ここに「評判よかりしゆへ、抄録して記す」の表記が残ってます。

抄録は大いにどんどん使わないと文化もまた進まない面もあるので、抄録は出来るだけ甘く扱う、反対に要約は厳しく扱われてしまうと云う部分もまたある訳です。

ちなみに「創作」ではないですが、評論や研究などにおける「引用」は、著作権法の引用の第32条「公表された著作物は、引用して利用することが出来る。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない」とあり、あと出処の明示義務がそこに加わります。

引用における使用の絶対条件とは、

●「批評・研究・報道」の部分が主である事

●引用が従である事

●引用する必然性がある事

この3つ。そして「引用」にはそもそも許諾の必要がありません
※その使用が「引用」に当たるかどうかの裁判もありましたねゴーマニズム批判本とか。

著作権法はその第1条で「文化的所産の公正な利用に留意しつつ」「著作権者等の権利の保護を図り」「もって文化の発展に寄与すること」がその目的として掲げられてます。
 
世の中のパロディ全てが違法と云うものではなくパロディも1つの文化ではあるが、それは社会的にどこまで許されるか、著作権者がどこまで許すかに掛かってきます。
 
何度も明示しますが、アイデアや舞台設定は著作物ではないので、「便利な道具を使う未来の猫型ロボットを自分の小説に登場させる」場合は著作権的には問題はないとされます。(デザインは別な話ですよ!)
 
スティールボールランの「莫大な賞金が掛かった大陸横断レース」と云う設定が、小説「遥かなるセントラルパーク」のパクリだ、なんて人もいましたけど、舞台設定は著作物ではありませんので、流用や参考ではあるでしょうけど著作権には何の関係も無いですよ。まあ確かに発想は借りてると思います。脚で走るか馬で走るかの違いだけで。
 
【1931年、チャールズ・フラナガンなる興行師が、アメリカ大陸横断フット・レース(マラソン)を企画。ロスアンジェルスからニューヨークまで3ヵ月かけて走る狂気じみた発想で、距離にして3146マイル、キロに直すと5063キロという気の遠くなるような道程。総額36万ドルと云う、莫大な賞金が懸かっており、元オリンピック選手、失業労働者、イギリス貴族やインディアン、さらには踊り子に至るまでが、虎視耽々と賞金を狙って、世界中からランナーが集まった】
 
これは実際にあったアメリカ大陸横断ウルトラマラソンを題材に書かれた小説。
 
もうかなりダラダラと無意味に長くなってますが大丈夫ですか?読めてますか?やめますか?やめましょうか?(弱気
 
著作物とはある人が自分のアイデアを書いたり作ったりし、それを発表したものです。簡単に言えば、「著作物を勝手に複製したりそれを配ったりする事をさせない権利」でもあるので、原作者の不利益にならないよう配慮する姿勢が大切な訳です。
 
幾つか漫画と著作権の事例を挙げてみましょう。
 
キャンディ・キャンディ事件と云うものがあります。前のブログでも名前だけ触れましたが、正直これだけで1本長文ブログ書けちゃう程の濃い案件。写真は挙げません。
 
皆さんもご存知、アニメ化もされている名作少女マンガのキャンディ・キャンディ、現在この作品は一切復刻されておりません。アニメの再放送も出来ません。この辺の内実は「よくわかるキャンディ・キャンディ絶版事件」などにも詳しく載っております。
 
双方の言い分はあるでしょうし、上記の記事は原作者側の立場に立った論点で進めておりますが、裁判そのものの結果や、それにまつわる作画者側の行為実績などを見ればおおよそ見当が付くものではあります。最高裁の判決(いがらしゆみこ氏全面敗訴)も出てますしね。
 
この一連の裁判や騒動で確定した事は、「原作付き漫画において、原作で設定されたキャラクターの性格に合わせて原作者との打ち合わせの上で漫画のキャラクターが決まった場合、その漫画のキャラクターの絵は原作の二次著作物となり、漫画家がキャラクターの絵を原作者の許諾なく利用した場合、著作権侵害となる」と司法判断された、と云う事です。
 
これは著作権法65条が適用されるようで、二次的著作物は原作品の著作者の同意が得られなければ利用出来ない。但し、原作品の著作権者は正当な理由が無い限り、二次的著作物の利用を拒否してはならない、とあります。その意味合いでは、恣意的に原作品の著作権者が許諾を拒む事はこの条文による限りは出来ないのですが…。
 
二次著作物とは原著作物を分母とし、その分子に新たに創作表現をしたものが乗っている分数だと考えたらよいです。但し、ある著作物の内容にヒントを得て、或いはアイディアを利用して創られたものは翻案には該当しません。
 
この件では作画者側が余りにも一方的に周囲の信頼を「利用」し、己の利益の為に周りを騙し、打ち捨てた感はあります。著作権侵害が親告罪である事を考えると、まずやらなければならない事は、信頼関係の構築と維持、取り掛かる段階での徹底的な権利確認の必要性、この2点である事をこの事件は教えてくれています。
 
和解の手もあったのですが、欲の皮が突っ張ったり、感情的にこじれて突っぱねてしまえばどーもこーもない。個人的にはこの件は、ある程度は真っ当な結論が出たとは思ってます。少なくとも自分ひとりで始めた仕事ではないのですから。ただ割を食ったのは作品のファン。これから読んでファンになる筈だった人たち含め。社会における創作活動を活発化させると云う著作権本来の意義からは遠く離れた結論に行き着いた哀しい事例なのです。
 
他の参考サイト
 
原作者・水木杏子さん自身によるこの件のサイト キャンディキャンディ事件
 
共同で作った著作物は「共同著作物」「結合著作物」に分類されます。
 
分割して利用できないものが「共同著作物」、分割して利用できるものが「結合著作物」、例えば歌は歌詞とメロディーに分割できる結合著作物です。
 
漫画が「共同著作物」であれば、絵の部分の利用にも原作者の許可が必要であり、「結合著作物」であれば、絵の部分だけの利用は、漫画家だけの許可で利用できる訳です。
裁判所の判断はどちらでもなく、「二次的著作物」であるとの結論。
 
小説を漫画化した場合、漫画に対して漫画家が権利を持つと共に、原作者も原著作者としての権利を持ちますが、「漫画原作」は通常の「原作」とは違い、独立して公開される作品ではないのですが、この裁判においては小説の漫画化の場合と同様に、原作者の水木氏がキャンデイ・キャンディの原著作者として権利を持つという判断になったのです。
 
裁判になった段階で、原作者である水木氏は当初からこの作品は「共同著作物」または「二次的著作物」であると主張していましたが、作画者であるいがらし氏は、「原作は存在しない」「単なる参考資料に過ぎない」「結合著作物ではなく私単独の作品」と鼻息荒く主張しました。これはブレーンとなったいがらし側弁護士の先走った入れ知恵だったようですが、見事に裁判において玉砕した訳で、結果として戦術・戦略の態をなしてなかった訳です。
 
最高裁で「二次的著作物」であると確定した後、何故かいがらし側の主張は「いがらしサイドがなにより望んでいるのが【共同著作物】という判断なのです」に変わってしまいましたが、時すでにお寿司と云うか、だったら何で最初からその線でやらなかったのかね、と云うツッコミも生まれますし、余計な争いや判例を作っただけに終わりました。
 
厳密にいえば作品としてのキャンディ・キャンディの権利と、作画者が描く別媒体向けのキャンディの絵は別問題(別な著作権)だと私などは考えます。そこにまで原作者の権利を拡大解釈させるのは余りにも保護範囲選定が広すぎると思うから。
 
ただ、二次的著作物であるとするこの判例(今後の参考になる)を導き出してしまった原因は、作画者側の独善的な利益追求と、信頼関係を裏切るような数々の行動。結果として今に至るもこの両名は和解しておらず、作品は過去の闇に葬られたまま。誰も幸せにならぬ結果となりました。
 
あと偶然似てしまった事例。
 
1970年後期、巷ではこの頃「口裂け女」と云う都市伝説が流行ってましたが、殆ど同じ週に発売されたマンガ雑誌3誌のギャグ漫画で同時に「尻裂け男」のギャグが展開されていたと、とり・みき氏の著作で紹介されてたのを読んだ覚えがあります。

少年チャンピオン(がきデカ/山上たつひこ)

少年サンデー(できんボーイ/田村信)

少年ジャンプ(東大一直線/小林よしのり)

ほぼ同じ週に出たと云う事は三人とも同じ時期に同じネタを別個に思いついた事になります。この辺は出版の仕組みとか、原稿が掲載されるタイムラグを分かっていれば理解できる話。時代も時代ですし、これをパクリだなどとは当時誰も思いませんでした(多分)

漫画ではないですが、昆虫交尾図鑑と云う書籍でもトラブルは発生していました。これも前ブログで名称だけちらりと載せました。

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数年前にネットでも話題になりましたのでご存知の方も多いと思いますが、この本には昆虫図鑑サイト『虫navi』などに掲載された複数の写真をイラストとしてトレース或いは模写した疑いが掛けられました。

『虫navi』管理人が出版元の飛鳥新社に問い合わせた処、ツイッターで当初はトレースを否定していた作者本人(東京藝大学生)は直接メールで謝罪、写真を見て描いたことを認め、「印税その他、一切の権利を放棄するつもりでいます」と表明し、解決に向かったかに見えたのですが、出版社側が「昆虫の姿をリアルに描いた場合に、写真における昆虫の特徴と類似するのは当然であり、また昆虫の交尾の姿に個性的体位がないのは自明であり、したがって、本件イラストが写真に類似するという理由だけで著作権侵害とならない」と表明した為、更に泥沼化したものです。
 
この件のまとめサイト:女子藝大学が描いた「昆虫交尾図鑑」が写真のトレースではないかと話題に
 
イラストを描いた本人は「既存の写真を無断で参考に絵を描き、それを出版してしまったことは、私の未熟さ、浅さが招いた結果です。昆虫のことを表面的に知ったつもりになり、撮影者の方々の苦労やお気持ちを想像する力に欠けていました。それは法律的にどうあれ、クリエイターとしては真摯な態度ではなかったと思います。その点で不快な思いをなさった方々に深くお詫び申し上げます」
 
「この出版物に関する私の収益は全て放棄し、然るべき方に謝罪し、使用料としてお支払いしようと思っています。もしお断りする方がいましたら、昆虫に関する協会等に寄付するつもりです」
 
との事でしたが、書籍そのものは増刷され今も販売は続けられています。この飛鳥新社と云う出版社でこの件を担当編集してた方(ムツゴロウさんの甥っ子らしですが)は、他にも「とある新人漫画家に、本当に起こったコワイ話」のトラブルにも関わってる方ですので、まあ色々と何かしら問題を抱えてる性向があるのかな?などとも邪推してしまいますが。
 
この昆虫交尾図鑑については正式に法曹の判断を仰いだ訳ではなく、デッドコピー(そっくりそのままの模造・複製品)である事を描いた本人が認め謝罪したものの、出版社は逆にしらばっくれ開き直ってそのまま、な模様。まあ著作権は親告罪ですから、権利者が司法に訴え、違法であるとする判決が出ない限り、濃いグレーであってもシロではありますが、何とも後味の悪いお話。

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写真をもとに制作されたイラストが写真の著作権を侵害するかどうかは、「元ネタとなった写真の創作性の程度」にも左右されるので、過去の判例をみると「ある写真の創作性の程度が低い場合は、著作権侵害となるのは当該写真をそのままコピーして利用したような場合にほぼ限定される」とした知財高裁の判決もあります。

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茨木童子の話は宇治の橋姫のパクリ、南総里見八犬伝は水滸伝のパクリと喚くだけの人は何も後世に残る価値のあるものなぞ生み出しません。

そーいや槇原敬之がケミストリーに作った楽曲「約束の場所」の歌詞の一部が、松本零士の新999の台詞から取られた、著作権侵害だ、なんて話で裁判沙汰なんてのもありましたね。松本零士側が敗訴して控訴、最終的に金銭支払い無しで和解と云う結末になった奴
 
これも時系列で考えれば、「銀河鉄道999エターナル編第1話」の台詞「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」は1996年の初出。
 
「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」が歌詞に登場する「約束の場所」は2006年の発売。
 
なのであくまで論点は槇原敬之がこの999の台詞に依拠したかどうかだけ。
 
東京地裁は「原告表現が被告表現に依拠したものと断定することはできない」「2人の表現が酷似しているとは言えない」と依拠性と類似性という著作権侵害の2つの構成要件を認めず、槇原に対する名誉毀損を認め、松本に220万円の損害賠償支払いを命じる判決を下した、って展開。
 
何処かで目にして無意識に脳にインプットされてたかもしれないけど、意図的に依拠してない、酷似していない、と裁判所は判断しました。
 
「ゆうきまさみのはてしない物語」でも語られてましたが、ディズニーのライオンキングが手塚治虫ジャングル大帝の「パクリ」である事はもはや周知の事なんですが、これが第3作、第4作と続けば、今度は「ジャングル大帝もの」と云う新しいジャンルが確立するのだ、には納得。山田風太郎の「魔界転生」が既に魔界転生ものと云うジャンルとして成立しているようにね。

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既成のイメージと盗用の境目は何処か?それは表現の自由&ケースバイケースと言い切るとそこで終わってしまうのですが、少なくとも創作の連鎖の中で互いに良い影響を与え合い、更に新しい感動やドラマを生んでいく事が創作における「黄金の道」である、と前のブログで述べました。
 
「ちはやふる」の末次由紀氏の過去作「エデンの花」の構図や絵がスラムダンクからのトレース(盗用)が多いと検証サイトで指摘、それを認めた出版社が延焼を恐れ、末次氏のその作品だけでなく過去の全作品を絶版にしたなんて自粛事件もありましたね。これは今も復刊してないようです。ちはやふるを読んで判るように、彼女自身が優れた創作者である事が実証されてでもです。

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問題になった時点でひとつひとつ明確にしていかなければならない複雑なモノではありますが、より良い作品を創る・後世に残す、それによって未来においても更に素晴らしい作品が作られていく、そこを主眼にしないパクリ指摘は只の「語彙の少なさ」だけでなく、「著作権の本質」を無視した勘違いの嫉妬、水に落ちた犬を叩いて喜ぶ歪んだ娯楽、に陥る危険性もある事を我々は認識しなければならないのかもしれません。

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数が多くなればなるほど素数を見つけるのは難しくなっていきます。
 
とはいえ、オリジナルや時系列や由来を知らない(興味の無い)まま、「ジョジョ初めて観たけどちょこちょこ2ちゃんネタ入れてきてキモイ」(逆だよ…)とか「ペルソナってジョジョのパクリじゃね~の」なんて発言を無自覚にかますのは、やっぱちょっとだけ恥ずかしいと思って欲しい。それだけなんです。そこだけは理解して欲しいのです。
 
ここまでダラダラ続くブログを読み切った方ほぼ居ないと思ってますが、もし読まれた方がいらっしゃいましたら、その奇矯さに感謝致します。
 
これは自分用に情報を整理する意味合いも含めて書いておりますので、また新たな書き加えなどを気が向いたら行うかもしれません。後半疲れ果てたのか、かなり支離滅裂になってますが、それも含めてお疲れ様でした俺&皆さん。

参考サイト

クリエイターと著作権

トレス自体は合法ですよ!誤解されがちな「トレス」「模写」と「トレパク」の違いについて

みんなのための著作権教室

「漫画トレースもお互い様だが…」竹熊健太郎氏が語る、現場と著作権のズレ

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